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VOL139 福沢諭吉について(19)

J・H のささやき VOL.139 『福沢諭吉について(19)』
~「学問のすすめ」より~
第15章 事物を疑て取捨を断ずる事
この章は、フェイク・ニュースが氾濫する現在、ピッタリの感があります。
起きた物事についての報告(ニュース)と噂(風聞、風説、風評)を単純には信じる
な、と警告しています。いまから、およそ140年も前に! 
 
『信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、
人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、ボクゼイを信じ、父母の大病に
按摩の説を信じて、草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、
熱病に医師を招かずして念仏を申すは、阿弥陀如来を信ずるがためなり、三七日の断食
に落命するは、不動明王を信ずるが故なり』
と続いて、『信の世界に偽詐多し』と述べています。
ここには、江戸時代から続く『迷信』に近い信仰に対する批判が込められています。
ジンクス、つまり『迷信』は、どんな世界にもありますが、一概に否定できるものでは
ありません。
現在でも、たとえば、神社や寺に、何かの祈願に出かけることは誰でもやっていること
で、人間は、そうした儀礼的なことを済ませないと、なんとなく不安になるものです。
 
それも『迷信』と言えば迷信でしょうが、何か超越的なものを設定して、その前で謙虚
な思いで頭をさげ、祈る行為は、おそらく人間世界から消えることはないでしょう。 
迷信と信心の間に、線を引くことは容易ではない。
一方から見れば迷信でも、もう一方から見れば、真面目な信心になる。
『鰯の頭も信心から』なんて言葉が昔はありました。
人間の内面には、言語化できない領域があるようです。
たとえば、墓参するひとに、『なぜするのですか?』ときいて、丸ごと理解できる応答
は得られないでしょう。
墓参は見えない世界への神聖な『祈祷行為』だからです。
ゆえに、なぜなぜなぜと問い詰めて行っても、合理的な答えは出てこない。
でも、それが人間。
 
福沢は、そんなことは百も承知で、以上のような文をしたためたのでしょう。
なぜか?
やはり、科学的精神が未発達な時代ですから、庶民があまりにも、旧時代の観念に凝り
かたまっているので、国民よ、覚醒せよと言いたかったのではないでしょうか。
 
『文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても無形の人事にても、その働きの趣を
詮索して真実を発明するに在り。西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ね
れば、疑の一点より出でざるものなし。
ガリレヲが天文の旧説を疑て地動を発明し』と述べて、西洋における自然科学の発展に
ついて説明を続けます。
さらに宗教改革の口火を切ったマルチン・ルターまで引き合いに出して、当然と思われ
ていることに対して、ほとんど『すべてを疑え』と言っています。
たとえば、現在でも、ノーベル賞の受賞者を見ても、始めに『疑念有り』という思いで
研究にあたっているようです。
先の本庶教授は『教科書を信じるな』と申しておりましたね。愉快愉快!
『疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨、その宜しきを得んと
するはまた難きにあらずや』
そのためには、『幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、以って
真実の在る所を求めなば、信疑たちまち処を異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、
今日の所疑は明日氷解することもあらん。
学者勉めざるべからざるなり』
たった一日で、信と疑はひっくり返るから、日々、研鑚を積もう、と呼びかけています。
活眼を開くとは、物事の道理をはっきりと見通す見識を持つことです。
難しいのですが、心したいものです。
 
現在は、ネットの発達によって、情報、噂、風聞が複雑に錯綜して、なにがなにやら
サッパリわからない、という『情報の雑居・超過密社会』になっています。
ですから、ホントに、信じるに足る真と、信じてはならない疑の境界の見極めが困難に
なっています。
換言するなら『ホントに真だろうかと疑ったほうがよいのか』、『真だと信じたほうが
よいのか?』という二項対立の前で、困惑するのが現代人の有りようです。
情報には、自分が直接に把握した一次情報と、ハタ(主にマスメディア)から得た情報
の二次情報がありますが、現在は、その二次情報がさらに加工されて、三次情報、四次
情報という具合で情報が乱舞しています。
どうかすると、時間の経過に伴なって、Aの話がZになったりします。
浦島太郎が亀の背に乗ったのではなく、亀が浦島太郎の背に乗ったことになる?
ですから、まずは、『疑う、鵜呑みは禁物』という気構えで行くしかないでしょうね。
そして日々のルーティン化した仕事については、当たり前の動作、所作にあらためて
眼を向け、『はて、ホントにこれでいいのかな、もっと合理的な方法はないかな』と
振り返ることが大切です。
 
新聞、テレビ、ラジオ、それらの報道にはフィルター、膜がかかっていますから、くれ
ぐれも丸ごとは信じないように!