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Vol.89 福沢諭吉について(4)

J・H のささやき VOL.89 『福沢諭吉について(4)』

                 『 学問のすゝめ』より

こんにちは、ジェームス・ホントです。

『国とは人の集りたるものにて、日本国は日本人の集りたるものなり。
英国は英国人の集りたるものなり。日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば、
互いにその権義(権利)を妨げるの理なし。
一人が一人に向て害を加うるの理なくば、
二人が二人に向て害を加うるの理もなかるべし。
百万人も千万人も同様のわけにて、物事の道理は人数の多少に由りて変ずべからず』
 
こういう文章に出会うと、まさに隔世の感を禁じえませんね。
だって、現在の日本には、230万人もの外国人が住み暮らしているんですよ!
それは日本に限ったことではなくて、世界中の、特に先進国には、あらゆる人種の人
が住んでいます。
福沢がいまの日本を見たら、どんなに驚くことでしょう。
 
さて、ここには害を加えるという穏やかではない言葉が出てきます。
つまりは、植民地にされた弱小国家への憐憫の情と、植民地化を押し進めてきた欧米
列強への憤りが表われています。
そして、日本も強国にならないと、害を加えられるぞという恐怖感。
 
現代人には到底理解しがたい、西洋列強に対する恐怖感。
しかし福沢は、だから即刻軍備を増強しろ、とは言いません。
『貧富強弱の有様は天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由て移り変るべきにて、
今日の愚人も明日は智者と為るべく、昔年の富強も今世の貧弱と為るべし』
つまり、国民の一人一人が学問に励めば、智者になり、国も富強になり、
『何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん。
道理あるものはこれに交り、道理なきものはこれを打払わんのみ。
一身独立して一国独立するとはこの事なり』

ここで、福沢の最大テーマであった『一身の独立が、国家の独立の基である』が顔を
出しています。
独立について、福沢は次のように続けます。
『独立とは、自分にて自分の身を支配し、他によりすがる心なきを云う。自から物事
の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の知恵によらざる独立なり。
自から身心を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり』
そうした独立心を養うには一にもニにも学問に励むことだ。
 
で、学問のすゝめ、となるわけですが、福沢の願いもむなしく、我が日本はその後、
猛烈な勢いで西洋文明の摂取に努め、学問に励んだのは良かったのですが、なぜか、
奇妙な道に迷いこんで戦争に突入し、敗戦国となりました。
そして、しばらく『独立』を失いました。
(しかし、どんな国でも、人間と同じで、道に迷うことはあります。
その結果、他国に占領されることもありますが、特別に卑下することではありません。
フランスでもドイツでもそうした歴史を背負っています!)
 
さて、今の日本は真の独立国家なのか、読者は、どう思われますか?
泉下にいる福沢は、いまの日本をどう見ているのか、きいてみたいですね。
 
独立は英語ではIndependence、インディペンデンス。
これから否定を表すInをとってディペンデンスにすると、人を頼りにすること、
依頼、依存となります。
つまり、インディペンデンスとは、人に頼らないことです。
自分の足で立つことです。
現在なら、どんな国難があっても自力で超えてみせる、という気概があるかないか、
ということになるのでは?
日本に、それはあるのでしょうか?
それがあって、次に、他国、他人の支援、援助がある。こういう順序が望ましい。

北朝鮮は独立国家です。
ただ庶民は、報道されていることが事実なら、独立していないのでは?
庶民は完全に国家の僕(しもべ)となって、不自由な生活を強いられているのでは?
そのように考えると、あの国は、『国民の一人一人、つまり一身が独立していない』の
だから、福沢の論法で行くと、真の独立国家とは言えませんね。
福沢の論は、個人の独立が先で、その後に国家の独立が来る、というものですから。
とすると、専制国家というものは、暗愚な『孤立国家』ということになりますか? 
(朝鮮もかつては王制で、それの打倒を目指す革命分子が日本に亡命していました。
そうした人士を福沢は身の危険もかえりみずかくまっていました)

さて、維新から150年の日本、どの程度、理想の国家に近づいているのか?
福沢が熱望した『誇りある独立国家』に日本はなっているのか?
あるいは、日本はどこまで『自立』しているのか?
たまには、ビールを呑みながらじっくり考えてみるのも悪くないのでは?