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Vol.104 福沢諭吉について(18)

J・H のささやき VOL.104 『福沢諭吉について(18)』

                                                   ~学問のすすめ より~

 

第14編は、『心事の棚卸』と『世話の字の義』からなっており、心事の棚卸は前回
ご紹介したので、今回は『世話の字の義』について。

日本人は、よく『お世話になります』とか、『息子がお世話になっております』など
と言います。あるいは、『お世話様です』などとも言う。
ごくあたりまえの、日常言語です。
体調が悪くて、ひとに介護されている場合は、心底、お世話になっている、という気
持ちは高まるでしょう。
さて、この言葉を、福沢は以下のように解釈します。

『世話の字に二の意味あり。一は保護の義なり。一は命令の義なり。
保護とは人の事に付きかたわらより番をして防ぎ護り、あるいはこれに財物を与え、
あるいはこれがために時を費し、その人をして利益をも面目をも失わしめざる様に世
話をすることなり。
命令とは人のために考て、その人の身に便利ならんと思うことを差(指)図し、不便
利ならんと思うことには異(意)見を加え、心の丈けを尽くして忠告することにて、
これまた世話の義なり』

保護は、わかりやすい言葉ですが、命令というのは、なかなか難しい。
最近の、スポーツ界における『パワハラ』を考えてみるに、この命令という言葉の持つ
多義性に、どうしても思いが行ってしまう。
その人のためにと思って、これをやれと命令する。
そうしないと、これこれ、こういう事態になると、忠告し、意見する。
しかし、これが、相手の受け取り方によって、『威圧』となり、どうかすると『恫喝』
にもなってしまう。この食い違い、齟齬を埋めるのは非常に難しい。
しかし、上下関係がある以上、何事かを完遂するためには、強い言葉、強い態度が必要
で、『ゆる言葉』では、事は成就しないのでは?
だから『檄を飛ばす』なんぞと言う。
しかし、忠告された方が激しく反発した場合は、その関係は崩れるしかない。
では、どのような言葉遣いならよいのか?

外国では、どうなんでしょうか?
おそらく、この問題には、国民性がからんでいると思うのですが。
ジョークを混じえて忠告、意見しても、日本人には、通じないのか?

脇道にそれますが、たとえば、こんな話あります。
先の戦争の時、士気向上のために、つまり戦意高揚のために、アメリカも日本も様々な
映画、映像を国民に見せました。
アメリカの映画は、国家のために兵隊になるのは素晴らしい、楽しい、軍隊は良いとこ
ろだだから、若者よ、軍隊に入ろう、戦争に行こう、というメッセージになっています。
食い物も豊富にあるぞ、という映像も流される。

一方の我が国の映像では、兵隊が真剣な表情で行軍していて、勇ましいのですが、アメ
リカ人から見ると、『これは反戦映画じゃないか』ということになるんですよ!
つまり、『兵隊はつらく苦しい日々を送っている』という映像にしか見えない。
見方がまったく違う。
日本人にとっては『戦意高揚』の映像が、アメリカ人にとっては『戦意喪失』の映像に
なってしまう。
これは国民性の違いからくる表現の象徴的なあらわれですが、パワハラ問題にも、これ
に類似した心理的な要因が関係しているのでは?
つまり、40代、50代には、戦前・戦中的な『厳しさは時に罵声、いや暴力にもつな
がるが、これも愛の鞭』だという古い感性が生きており、また自分もそうした指導のも
とで選手生活を送ってきた。疑念を持ったことがない。
ところが、現代の10代、20代の若者には、それが『前近代的な因習』にしか見えない。
で、内部告発が多発する。
簡単に言うと、日本の指導方法はいまだに『軍隊的』なのか?
 
本論にもどります。
『たとえば、父母の差図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、その遊冶放蕩(ゆう
やほうとう)をたくましうせしむるは、保護の世話は行届て、差図の世話は行われざるも
のなり』
 
バカ息子に好きなだけ金を与えるのは、保護ではあるが差図が伴なっていないので、
『人間』の『悪事』であると言っています。
芸能人や大企業の御曹司にたまにあります。
金を好きなだけ与えて、その子を駄目にする話。
フランスの思想家ルソーは、『人間を駄目にするなんて簡単なことだよ。欲しいものを
全部与えればいいんだから』と言っています。

子供に小遣いをあげる時、誰もが思うのではないでしょうか?
これじゃあ少ないかな、とか、これじゃあ多すぎるな、とか。
多く与えすぎたと思った時には、『無駄遣いするな』と言うのではないでしょうか?
これが、差図ですね。
だいだいそう忠告します。相手が従うか否かはともかくとして。

つまりこの論で福沢は『世話には保護と命令・差図があり、このバランスを常に考えて
行動すべし』と言っているわけです。