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Vol.16-壁について(2)

J・H のささやき VOL.16 『構造物のよもやま話~壁について(2)』

 

 こんにちは、ジェームス・ホントです

            

           《石灰石の産地は伊吹山と葛生》 

 

 壁の材料は時代と目的によって大きく異なりますが、日本で普遍的な材料は石灰

(せっかい。この中国音がなまって漆喰になったと言われています)に、スサと総称

される藁麻、海草、紙を混入したものです。貝殻を混ぜることもありますが、これは

高価で、なかでも牡蠣殻が高級でした。それらを木や竹で組んだ木舞とよばれる下地

に塗っていきます。

 石灰石の産地は、京都に近いこともあって、滋賀県の伊吹山がつとに有名でした。

 近世になってからは、野州(栃木県)の葛生が名をあげて行きます。ちなみに、

現在は両所に住友大阪セメントの工場があります。

 古代においては、左官業の主な需要先は寺社建築でしたが、やがて、貴族の寝殿造、

高級住宅へと需要を伸ばし、さらに戦国時代になって、城郭建築の隆盛と茶室の流行

にともなって、大きく成長します。つまり盛んになるわけです。

 愚生の住まいの近くに造り酒屋がありますが、そこは広大な敷地の中にあり、建物

の周囲はきれいな白壁に囲まれています。威容を誇る白壁は富の象徴であり、庶民に

は縁遠いものでした。

 小京都、あるいは小江戸と呼ばれる町には決まって見事な白壁があり、蔵の街には

付きものです。

 いまでも、壁の内側に鶴や綺麗な草花を配した見事な壁を見ることができますし、

壮麗とも言える壁画も残っています。

 そうした趣向は豪商のもので、徳川幕府も片腹痛しの思いでながめていたようです。

 しかし江戸時代の中期になると、一般家屋にも防火の観点から土壁が普及し、白壁

はようやく庶民のものとなりました。

 

          《近代建築にも対応》

 

 明治時代になって、あらゆる分野において西洋が日本の伝統的な世界に改変を迫っ

てきましたが、こと左官業においては、日本の技術はほとんど変わることなく対応で

きたようです。

 現在残っている明治時代の建物は、江戸時代までの日本の左官技術が、当時の西洋

の最新技術になんら遜色のないことを物語っています。つまり、あまり学ぶことはな

かったのです。

 とは言いながら、時の政府は明治19年に、洋風建築技術を習得するため、『ベッ

クマン貸費生』をヨーロッパに派遣しています。左官関係者が技術習得を目的にヨー

ロッパに行ったのはこれが最初で最後だそうです。

 

          《たかが壁、されど壁》

 

 壁も進化しています。強度は言うまでもなく、壁は外界から家を隔て守るものから、

省エネルギーを担う重要なパーツになっています。壁は、夏は暑さからひとを守り、

冬は寒さから守るものであらねばなりません。ひいては、優れた断熱性能を保持する

壁は、日本の将来の省エネルギー対策の一翼を担うものとならねばなりません。

 大袈裟に聞こえるかも知れませんが、これは真実です。

 一方、外壁は景観上、非常に大切なもので、自分の家だからどんな色をつかっても

自由だというわけには行きません。はなはだしく奇態なものは、やはり謹んでほしい

ものです。

 以前、東京の武蔵野市で、有名な漫画家が、途方もないデザインの家を建て、外壁

も奇妙奇天烈な色彩ということで、近隣住民から怒りの声があがり、裁判沙汰になっ

たことがあります。

 たかが壁、されど壁、というところでしょうか。

 

    参考図書《ものと人間の文化史45・壁・山田幸一著・法政大学出版局》

 

 最新の内・外壁材がお有りでしたら、dbNETでご紹介しますので、是非とも情報

をお寄せください。次回は『トイレについて』です。乞うご期待!

 こちらも情報をお待ちしております。

 というのが今回の結論でGOZAIMASHITA!