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Vol.17-トイレについて(1)

J・H のささやき VOL.17 『構造物のよもやま話~トイレについて(1)』

 こんにちは、ジェームス・ホントです

            

 さあ、いよいよトイレです。なにがイヨイヨなのか、我ながら判然としないのですが、

 なぜか力がはいるのは、いかなる理由でしょうか?

  トイレとなると、どうしても、スカトロジー(Scatology・糞尿学)に行き

 がちなので、極力話が尾籠(びろう)に流れないように要注意、要注意!

 『冷たく飲み、硬く立ち、暖かく垂れ、柔らかく眠る』

 この言葉は、フランスのルイ12世か13世が、理想の生き方について語った言葉で

 す。いちいち説明する必要はないと思いますが、あえて少しご説明します。

 最初の『冷たく飲み』は、冷えたワインを味わう喜びのことです。

 随分とふざけた言葉だと言えるし、イヤ、正直でいいよとも言えます。評価が分かれ

 そうですね。

 日本では、トイレを指す言葉は沢山あります。浅学非才な愚生が知っているだけでも、

 ご不浄、便所、お手洗い、W・C、はばかり、雪隠(せっちん。将棋では王様が身動

 きできなくなった状態を雪隠詰めと言います)、さらに後架(こうか)、手水場(ち

 ょうずば)、東司(とうす)、厠(かわや・川屋、河屋))、ととても豊かです。

 また地方に行くと、もっと色々と面白い呼びかたがあると思います。

 

        『はばかりは、日本人の、恥の感覚が生んだ言葉か?』

 

 家の中で、ひとりになれる空間は、トイレとバスです。しかしバスは二人でも入れる

 ので、ほんとにひとりになれる場所は、トイレでしょうね。

 トイレは、ある意味では、人間にとって最も大切な場所、聖域(?)です。

 臭気を除去する芳香剤の置かれた、綺麗な壁紙のはられた空間でのんびり排泄する。

 そして何かしら真面目なことを考える。

 人間が良いアイデアをおもいつくのは、『馬上、厠上(しじょう)、枕上』といった

 の遠い昔の中国人でしたね。

 さて、はばかり、という言葉はほとんど死語になっていますが、人目をはばかる場所、

 という、意識はまだ残っているようです。

 それは多分、日本人の美意識なんでしょうね。

 ちなみに、漢字の臭は、くさいと読みますが、においとも読みます。それで日本人は、

 匂いという文字を考案しました。つまり、匂いは、国字です。

 なにしろ香道の発達した国ですからね。インド産のお線香はいい匂いがします。

 若き女性が、初めて恋人の家に泊まった場合でも、(小)の方は使用しますが、(大)

 の方は、やはり恥かしいので、大半の女性が我慢をするそうです。笑えますね。

 広く世界をながめてみると、しかし、そうした心理的な傾向は、決して普遍的ではな

 いようです。

 現在はどうだかわかりませんが、中国でも東南アジアでも、いや、ヨーロッパでも、

 人間の排泄行為に対しては、特段に忌避する面は見られません。もっと堂々と排泄を

 おこなっています。

 なぜなら、排泄は人間の不可避な行為だから、なんら恥じる必要はない、ということ

 です。このあたりに、各国の人間の生理と臭気に対する民族性というか地域性が出て

 いて、面白いですね。

 しかし一方では、白人は体臭にはとても敏感で、それゆえ、香水が異常なほどに発達

 しました。人間は不思議なものです。

 

        『トイレは小さな片隅』

 

 フランスのある哲学者の言葉に『家は世界の中の我々の片隅だ』という言葉がありま

 す。なかなか良い言葉です。

 トイレは、家の中の、もっと小さな片隅、ということになりますかね。

 飲食店などでは、店内が広いと『遠路はるばる』といった離れた場所にあってさなが

 ら迷路、ウロウロすることがあります。まあ、やむを得ないことではありますが。

 さて、愚生が子供の頃は、当然ながら、現在のような水洗トイレはなく、ボットンと

 排泄物が、はるか下方に落下するものでした。しゃがんで致したものです。

 異常人の文豪・谷崎潤一郎が昭和10年発行の文藝春秋に、あるうどん屋の厠を利用

 した時の経験を書いています。

 『またぎながら、下をのぞくと、眼もくるめくような遥かな下方に川原の土や草が見

 えて、畑に菜の花の咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮

 やかに見える。…中略…<この上に便所あり>とでも棒杭を立てて置かなかったら、

 ついうっかりして真下を通ることもあろう。とすると、どんな時にボタ餅の洗礼を受

 けないとも限らないのである』

 昔はこんな風習というか方法が許容されていたんですね、しかし、ボタ餅を食らった

 ひとにはとんだ災難です。

 それが時を経て、トイレの構造は変化し、和式は漸次少なくなって、現在はお湯で洗

 浄してくれるものも、特別に珍しいものではありません。普及率はかなり高いかも知

 れません。

 喫茶店でも居酒屋でも、現在はどこのトイレも綺麗で、清潔、無臭、実に快適です。

 大変な変化、進歩です。

 愚生も、様式の便座に初めてすわった時は、妙な気持ちがしましたが、なれてしまえ

 ば、ごく自然なスタイルだと納得できます。

 腰をかける便座は古代ローマの時代からあったようです。

 

        『温水洗浄便座は偉大な発明』

 

 

 ちなみに、和式のあの丸い陶製の便器は、日本には仏教の渡来と同時期に入ってきた

 そうです。それが、ほんの数十年前まで(もちろん、今でもありますが)、一般家庭

 では最も普遍的なものとしてあったのですから、何でも改良進化させる日本人の『技

 術革新の精神』をかんがみると、古い形のまま放置していたという意味では、奇妙に

 感じますね。

 やはり、あそこは不浄の場所だから、あまり触れずにおこう、ということで、人間の

 思考の外に置かれていたのかも知れません。

 下水の未発達も関係しているのでしょうが、日本では、排泄物は大切な肥料になって

 いたので、それが影響しているかも知れません。ある程度たまったら、業者に買い取

 ってもらう。合理的ですね。

 モノはなんでも、使用する側の意識に溶け込んでしまうと、日常化してなんとも思わ

 なくなるものですが、それを変革したのですから、温水洗浄便座の発明は凄いと

 思います。

 痔疾のひとには、ほんとにありがたいものだと思います。

 いつかテレビで見たのですが、あれの開発者は、ご自身の父親が痔疾で苦しんでいた

 ので、それをなんとかしたいとの思いから、考案したとのことです。

 親孝行な方だと感心しました。

 松尾芭蕉も夏目漱石もJiで苦しんでいたので、江戸、明治時代にあったらなあ、と

 思います。しかし、芭蕉は苦痛に耐えながら、あれだけの旅行をしたのでしょうか?

 そうだとすると、大変な忍耐力ですね。あるいは、調子の良い時だけ、さっさと、歩

 いたのでしょうか? はるか奥の細道まで? 大変な健脚です。 

 つまらんことに思いが走ります。

 次回も『トイレについて』ですが、恋愛と糞尿にまつわる谷崎潤一郎の傑作、『武州

 公秘話』をご紹介します。お楽しみに。

 

 最新のトイレがお有りでしたら、dbNETでご紹介しますので、是非とも情報を

 お寄せください。詳細は3.秋のキャンペーンをご覧ください。

 というのが今回の結論でGOZAIMASHITA!